台湾のことを話そう

2000年の7月。前年の秋に実父を亡くし、その半年後に親しくしていた異性の友人を亡くした私は、日本には何の未練もなくなってしまって、人生総取っ替えのつもりで台湾にやってきた。
親父が死んで母が「こんな不便な場所に住み続けたくない」と木更津の戸建てを売ってしまったので、遺産相続という形でちょっとだけ、留学資金に足るくらいの金額を手にした。弟が母と一緒に住むために買ったマンションに少しの荷物を置かせてもらって、単身台湾にやって来た。

親父が死んだとき、仕事を続けられなくなってしまった。
自分でも想定外だった。良い父親でも良い娘でもなかったけれど、初めての肉親の死に触れてとてもショックを受けたのだった。
だから台湾に出発すると決めたときには、社会的なしがらみは何もなかった。

2000年7月から2012年まで、28歳から41歳の丸12年間を台湾で過ごした。

台湾での生活はとっても楽しかった。もちろん時にはしんどいこともあったし、悔しい思いもしたけれど。
「お姉ちゃんでしょ」と言われて育ち、十二分に育った後も「もっと女らしくしたら?」と言われ続けた私にとって、台湾人の個人主義、自由主義が非常に心地よかった。
私の場合、いわゆる「性表現」のみが男性なのだろうと思う。今ならそんな説明もできるけれど、当時の私は常に消化不良の矛盾を抱えていた。
そんな概念が浸透する前から多様性を持っていた台湾に、私はやっと居場所を見つけた気がした。

日本に未練はないと言ったけれど、海外に住んだから日本のことを客観的に見ることができたし、日本のいいところもたくさん発見した。

ここでは、私の知る台湾のことをたくさん話そうと思う。

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2020年4月追記:
ご縁がありまして、2020年7月より、また台湾での生活を始めることになりました!

 

 

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