台湾のことを話そう

李登輝前總統と景美人權文化園區の話

私が 景美人權文化園區 に訪れたのはもう9年も前。
戦後の混沌としていた時代に、白色テロと呼ばれる行為があり、政治犯や犯罪軍人として捉えられた人達を看守していた場所で、交通の便がよくないそこは川べりということもあって常にジメジメとしていて、衛生的にもかなり芳しくない環境だったことが資料として残っている。

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景美人權文化園區が制定されたのが2002年。ちょうど陳水扁先生が総統職に就かれていたときだ。
2008年の政権交代で、この園区もつぶされるかもしれないという噂があったが、果たして存続されていた。

私がこの施設を訪れたのは週末で、中学生の男女数人と居合わせた。
グループデートなのか学校の課題なのか。はしゃいでいてとにかくうるさかったことを覚えている。
この子達にとっては、つい数十年前まで言論と表現の自由が当たり前じゃなかったなんてことは想像もできないのだろう、と思ったものだ。

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李登輝前總統は國民黨員として政治活動をされていた。当時の總統が任期半ばで没した後、副總統の彼が繰り上がりで總統の地位に就かれ、その後、中華民國初の直接選挙を実施、初の民選総統となった。
(詳しくは → https://ja.wikipedia.org/wiki/李登輝

直接選挙以前、國民黨以外の政党は違法な存在だった。
合法的に直接選挙ができるようになり、国民の利益のために与党と野党が闘えるようになった。
それを具現化したのが李登輝前總統だとも言える。

台湾国内でも李登輝前總統に対する評価はまちまちだ。
いわゆる綠派(民進黨/台湾独立派)と藍派(國民黨/中国統一派)の意見の相違だ。
どちらの意見もあって然るべき。
「反対意見を言える自由」を作り出したことが彼の最大の功績であると私は思っている。

彼の追悼会場にはオルゴール調の「千の風になって」が流れていた。
この歌は、元はアメリカの詩であったものを、日本人が和訳し曲をつけたものだ。
(というのを帰りのバスで再確認した)
「ずるい」と思った。
この歌は李登輝先生に似合いすぎる。
この選曲がご本人のご意思であったかどうかはわからないけれど。
手を合わせている間、思わずウルッときてしまった。
(列を離れると、お誂え向きにティッシュが置かれていた)

無いことにされてしまうことが一番恐ろしい。
未来への挑戦とは、過去の失態を挽回することであるのかもしれない。
大事なのは、今、何を為すか だ。

私はいま、台湾ビール片手に、夕飯のスープを煮込んでいる。

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中国語:味噌湯(ㄨㄟˋㄘㄥ ㄊㄤ)
日本語:味噌汁

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